好きな作家。非結核性抗酸菌症と兄弟分の病気・結核で亡くなった新見南吉
好きな作家はたくさんいるけれども、非結核性抗酸菌症と兄弟分の結核を患った作家ということで、新見南吉について書いてみます。
新見南吉といえば、「ごんぎつね」。今でも教科書に載っているのかな?
私は新見南吉の作品では、「おじいさんのランプ」が好きです。「ごんぎつね」だけ読むと、新見南吉は素朴なカワイソ話の作家のようにも思えますが、それだけとはいえない視点が「おじいさんのランプ」にはあります。
それは言ってみれば、社会的な視点。
「おじいさんのランプ」は、あるおじいさんの若いころ、当時の文明開化の象徴といえるランプと出会い、「これが人の生活をよくするのだ!」と売り歩くところから話がはじまります。
しばらくはそれで幸せでしたが、時代は移りかわり、電気が普及しはじめます。すると、おじいさんとしては、おもしろくない。自分の食い扶持であるランプ売りがあやうくなるわけですから、当然といえば当然です。おじいさんはランプの肩をもち、電気を否定するようになります。
やがて電気の導入を決めた区長を逆恨みして、犯罪行為に及ぼうとします。それでも、直前でおじいさんは気がついて思いとどまるんですね。自分がかつては「これが人の生活をよくする」と思ってランプを売り歩いたことを。電気もまた「人の生活をよくする」ものだということを。
時代の流れがもっとゆっくりした社会なら、おじいさんは幸せにランプを売りつづけることができたかもしれません。自分のポジションから離れてものを考えるというむずかしいことをしないですんだかもしれない。
それがかなわない社会の変化があります。テクノロジーが変われば生活も変わる。商売も変わる。その変化につきあっていかざるをえない人間の姿が「おじいさんのランプ」には描かれています。
おじいさんはランプと別れを告げる苦しみに耐えかねて犯罪行為にまで及ぼうとまでしました。この過激さ・不器用さは執筆当時28歳だった作者の若さによるところもあるかもしれません。
新見南吉は結核で29歳で亡くなりました。長生きしていたら、テクノロジーと人間の関係をまた違うかたちで描いてくれたかもしれません。