アセトアミノフェンをやめてみた。それとなぜか国語力のハナシ
毎日あたりまえのように飲んでいたアセトアミノフェンをやめてみることにしました。
以前、漢方薬局の薬剤師さんにやめてみるよう言われたことがあります。その時は、やめたらすぐに発熱してしまったので、結局アセトアミノフェンはつづけることに。そのまま何か月かたちましたが、思いついてやめてみることにしました。
ここ何日かアセトアミノフェン断ちの状態です。心なしかなんとなくしんどい気もします。息苦しさは変わらず。熱をマメに測ってみると、食後に少し上昇。そのときは寒気がしますが、40分くらいすると下がります。
結論からすると
「アセトアミノフェンを飲まなくてもそんなには変わらない」
しばらくやめてみることにします。
ひところ、38度台の熱がふいにぶわっと出ていたころに比べればマシかもしれません。ただ、そのころは、今感じている息苦しさはありませんでした。ああ、もう、変な病気だなあ…
ところでしばらく前、「日本の学生の読解力が落ちた」というニュースがよく出ていました。例文が出ていて、確かにこれが出来ないってつらいレベルです。読解力だけでなく、国語力そのものもあやういのではないか、という意見も目立ちました。
ええ!こんなんでこれからの日本は大丈夫なんだろうか?
と不安になりつつ、ふとパートの職場を思い出しました。すると、読解力はともかく、国語力にかんしては「もしかして昔からそんなもんだったかも」という疑問が頭をもたげてきました。
私が行ったパート先がたまたまそうだったのかもしれませんが、まず、配られてくるお知らせの書類の誤字・脱字がなかなかすごいレベルでした。
ネット時代になって、マスコミの校正レベルだって甘くなっているから、しかたないのかな?と思いたかったけれども、そんなものではありませんでした。ワードのスペルチェックでひっかかるような、てにをはの間違い、漢字の間違い、いつもたくさんありました。
パートはときどき研修だといって、本社の一室に集められます。学校の生徒みたいに立ち上がって資料の書類を順番に読まされるわけですが、その書類も間違いだらけ。これを正しく読んだらイヤミなんだろうか、それとも何も気づかないふりをしてそのまま読んでしまったほうがいいんだろうか…
係長や課長も漢字の読めない男性が多く、パートのおばさんにルビをふってもらったりしていました。口跡が悪いのか何を言っているのかよくわからない係長の言葉をみごとに通訳してくれるおばさんもいました。
私よりひと世代上の彼女たちは、同僚や後輩にはきついところもあるのに、なぜか男の上司には甘かったような…それは上司だからしかたなくそうふるまっていただけではなかったような気がします。
「オトコは仕事、オンナは家庭、パートはそれを補う程度」という暗黙の了解があったからだろうな…
とはいえ、その時点で多くのおばさんがフルタイムで働いていました。「フルパート」という奇妙な言葉があり、離婚経験者や未亡人の多い職場でもありました。それなのに、彼女たちは私の目から見て、オトコたちにあまりにやさしかったような…
その後、年齢から言って彼女たちはぼちぼち退職しているかもしれません。
となると、漢字にルビふってくれたり、通訳してくれたりするやさしいおばさんたちはいなくなるわけで、おばさんたちが嵩上げした国語力は実力レベルに下がります。それって、今、「低下した、低下した」と大騒ぎされているレベルとあんまり変わらないんじゃなかろうか…
それから、これは男女を問わず、書類というものを読むのがイヤだという人たちがけっこういることも、私はパート先で初めて知りました。本を読むのが好きな私からみると信じられない思いでしたが、じゃあ、彼らが仕事ができないかというとそんなことはありません。
段取りや在庫管理、接客、問題なくこなします。会話でのコミュニケーションはむしろ得意です。
改めて考えてみると、「国語力」って呼ばれて問題視されているものって、「話し言葉」と「書き言葉」のうち、「書き言葉」の能力のことなんでしょうね。だから筆記試験ではかれるわけだし。
「国語力=書き言葉」というスケールで昭和の職場を評価したら、そうとうダメダメだったかも。
昭和の時代から書き言葉苦手な人がそのままずっといても、私は不思議はないとは思っています。新しく育っていく人たちの中にもそのタイプはいるでしょう。ただ、これからの世の中、それじゃ損なんでしょうね。
本が好きで、書き言葉好きで、話し言葉いまひとつだった私は、この病気になって、あまりの息苦しさに、ついにどもるようになってしまいました。いつも行くスーパーのお肉屋さんに「若鳥ぶつぎり300グラム」と伝えるのに、私はかなり一生懸命。300グラムはポーズで伝えます。
私の話し言葉のレベルはかなり低くなってしまった模様…まあ、しかたないか。