病気が憎い病院が憎い、先生がいちばん憎い
寒い日ばかり続きますね。私はベッドの中にいるから、寒くない。夫が朝出ていったのにも気づかず眠りほうけています。
町医者でこの病気発見されたのが十年前。一年くらいで病院を移りました。それが今、通っている市立病院。まずグヤヤサ先生、次はノノウエ先生、今の主治医の「先生」にみてもらうのは後のことです。
二人とも私の治療には苦しみました。何年か後、権威に頼りたくなった先生たちは、それぞれ清瀬の病院に電話しました。清瀬には東京病院と複十字があります。
ノノウエ先生は東京病院、グヤヤサ先生ふくじゅうじ複十字病院。
眼科との連携が必要なのに、どちらの先生も病院内で回してくれませんでした。
入院は1月。なぜか2回とも1月。
すでに私は体調不良でかなり苦しんでいました。パート先の人たちの名誉のために言っておきますが、まだ視覚障害は出ていませんでした。
和菓子屋は一年の売り上げを1月で一気に稼ぎたいのです。すこーし休ませてもらうのがせいいっぱい。
こうして立ち仕事もあって疲れきった私は、混んでることがわかってる病院をさけて、近所のしけた眼科に行ったんです。そこで誤診をされました。
ネットで検索しまくって、副作用情報を集めました。目目の症状がいちばん問題視される重要な症状です。は感じられない。足の指先も強く痺れていました。
数日後、横断歩道の白線が、煙を上げているように
見えてきました。
これは別の眼科に行くしかない。隣町の眼科に決めました。ショッピングセンターの中にあるので、よりのもよって一階のデパ地下部分を通り抜けなくてはいけません。
みんな忙しいよね、客だって忙しい。
そこに夫の真っ黒なレイバンのサングラスをかけた私。
眼科では当然かなり待ち、検査をしました。
個室に呼ばれて問診、また検査。先生は言いました。
「すぐにエタンプトールを止めなさい。ぜったいに副作用だから。だが、僕らは眼科だ。呼吸器科の出した薬をどうこう言えないんだよ。入院なんて待つことない。すぐに病院に電話して、僕の言ったことを伝えなさい。」
その通りに言っちゃマズイと思ったので、呼吸器科のを眼科がうんぬん、を除いて病院の緊急外来に電話しました。
あとは、家ですごすしかない。副作用は大変なもので、
した。横断歩道の白線が燃え上がって、視覚の真ん中は欠けています。
元旦。
急いで病院に電話すると、先生は待っていました。今ほど知識がなかったせいで、色々な情報を繋げて考える気力もなかった私は、ごくフツーの報告するみたいに言葉を発しました。
先生はニコニコしてなんと言ったか。
「賢明なご判断でよかったわ」
先生、私は病気が憎い、病院が憎い、先生が憎い。