非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

モルヒネ

余命1ヶ月の花嫁」といえば泣ける映画として知られているのでしょうが、原作はノンフィクションです。この本では、末期の乳がんと闘う患者が、苦痛をやわらげるためのモルヒネ投与を拒否していました。モルヒネはたしかに苦痛を緩和してくれるが、意識も麻痺してしまうため自分がこの世からいなくなってしまうのとおなじだから、というのが理由でした。

そんなふうに、モルヒネなどというものはめったなことで使う薬じゃないというイメージがありましたし、そらりすがドクターから「服んでみる?」と打診されたと聞いたときは、なんというか、変な気持ちでした。「モルヒネなんて大ゲサな」というのと、「お手軽なモルヒネもあるのか」と少し驚いたのが混じった感想というか、ともあれ、彼女が重症だと考えたくないという思いが強かったからでしょう、結果として無関心みたいな反応になってしまったかもしれません。

 

病人に付き添う家族なら誰だってそうだろうと自分を慰めるのですが、そうです、私はそらりすの病状や苦痛が深刻なものだと思いたくありませんでした。そうやって、たぶん無意識のうちに、ずっと呑気を装ってきました。処方されるモルヒネ剤も、末期がん患者向けのそれとはちがうごく軽い薬だと考えたかったのです。

しかし、今、そらりすを失ってしまうと、そうじゃなかったのかなという気もして来るのです。

ドクターに会う機会があったら訊いてみたいのですが、そらりすにモルヒネを処方したのは、そうしなければならないほど状態が悪かったということなのでしょうか?

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そらりすに処方されたモルヒネは、商品名はオプソ、ゼリー状の内服薬です。やはり、他の薬とおなじというわけにはいかなくて、30包分の処方箋となると調剤薬局の在庫が足りず、後で配達してもらう場合もポストに入れるのはダメで直接手渡しという規則があります。

市立病院のドクターはこれを一日何回まで服んでいいと言っていたか、私ははっきり覚えていません。4回だったか、6回だったか。服用から服用まで1時間あいていればいい、とお薬手帳には記載があり、辛いときはためらわずにどんどん服んでかまわないというのがドクターの方針だったようです。食事のまえとか入浴のまえとか、身体に負荷をかけるときの予防策としても有効だとのことでした。

 

それで、オプソはそらりすの助けになっていたのかどうか? 「効いている」とは言っていましたが、私にはなんとも言えません。そもそも彼女の苦痛がどんなものかわかってないのですから。

服用を始めたのもいつごろだったか? お薬手帳では、平成31年2月のあとがずっと抜けていて、かなり後の令和2年11月にオプソの処方があります。令和2年(2020)11月は3度目の入院のあとですから、この入院のタイミングが服み始めだったのでしょうか。

そらりすは、オプソをかなり慎重に、本当に具合の悪いときだけ服んでいたと思います。それでも、亡くなる1ヶ月まえ当たりは、朝昼晩と服むようになっていたでしょうか。

 

ときどき変なことを言ったのは、薬のせいだったのかどうか・・・? 若いころから彼女には天然なところがあって、突拍子もないことを口にするのは珍しいことではなかったし、単に発熱や苦しさから平静を失っていたとも考えられますが。

最後の入院のあとだったか、私に転職しろと言ったことがありました。たしかに会社の待遇が悪いことは以前から話していましたし、結果的に私は退職してしまうことにはなるのでそらりすは正しかったのですが、彼女の言い方が「ネットのニュースで働きがいのある職場について書かれているのを読んだからあなたもすぐにそれを読め」みたいな感じで、働いて疲れて帰ったばかりのところへ唐突に言われたので、私も少し腹を立てました。ブラックな会社ではありましたが、仕事としてやっているからにはちゃんとやろうと思ってもいましたから。

翌日だったか翌々日だったか、「ものすごく失礼なことを言ってしまったよ、謝るよ」と彼女はLINEにメッセージをくれましたが、あれはいったいなんだったのか。とりあえず、最後の夫婦ゲンカということにしときましょうか。

 

訪問診療のドクターから、余ったオプソは薬局に返してくださいと指示があったので、葬儀の後だったか、早々に返して来ました。あれこれやることがあるようでないようで、なにから手を着けたらいいかわからない状況で、この作業は引き籠もりにならないために出かけるいいきっかけにはなりました。