非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

ブログを読めない理由

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夜の散歩中に見た月

そらりすの死から半年が過ぎてしまいました。私(夫)はまだ彼女が書いたこのブログを読んでいません。

漠然とした気持ちとしては「怖い」というのが理由なのですが、ちょっと分析的に考えてみました。

私は、そらりすの考えていることや気持ちは、本人から伝えてほしいのです。ほかの手段では知りたくない。なんというか、日記を盗み見るのに似ているような気がして。

公開されているブログですから、そこまで気を回す必要はないのでしょうが、「読んで」と言われていたわけではないし、簡単に割り切れません。

生きている人間同士というものは、夫婦であれ仲のいい友人であれ、本音を100%伝え合うことはないはずです。特に日本人の場合、「愛してる」と口にすることはありませんし、心のうちをなんとなく隠して、態度や空気で読み合うのが自然だと思うのです。私は、そらりすとのそんな距離感をなくしてしまいたくないのでしょう。書かれたものを読むだけというのは、コミュニケーションとしては一方通行なので、それではイヤです。たとえ私に対して好意的に書かれた文章であったとしても。(もちろん、怒りや恨みが書き連ねられていたら、とても耐えられないです)

 

年が明けたら引っ越します。家賃負担を減らすのがいちばんの理由で、賃貸の契約が終了するのを機にどこでもいいから出て行こうとあれこれ検討した結果、私の実家に移ることになりました。両親は健在ですが施設に入っていて、家自体は空き家になっているため、誰かが住んだほうがいいだろうと親族が言うこともあって、安易な道をなんとなく選んだ感じで、そらりすはあんまり喜ばないんじゃないかなという気もしないではありません。

近所を歩いていると、いたるところに彼女との思い出が染みついていて悲しいです。同時に、住み慣れた町を離れることも、とても寂しいです。

 

これまでの生活を「吹っ切る」という気はまったくありません。新しい場所で、そらりすとの新しい形の付き合いを続けていきたいと思います。

 

九月

おひさしぶりです、そらりす夫です。

 

前回の投稿のあと、コロナの新規感染者が激増し、どうなることかと思いましたが、皆さまご無事でしょうか。私は、ワクチン接種も問題なく済んで身体だけは普通に日々を過ごしていますが、世の中を見る限り安心するのはまだまだ早いようです。

そらりすの死から四ヶ月が過ぎました。その後の私の気持ちは、率直にいって、まるで整理が着いていません。彼女が書いたブログも、相変わらず読めないままです。そらりすと言葉が交わせなくなったことがどうしようもなく辛いのに、彼女が遺した文章や手書きの文字などを見ると、それもまたおなじように辛いのです。

 

コロナ関連のニュースで、酸素濃縮機が品薄になっているというのがありました。そらりすも、最後の半年ほどお世話になっていたもので、彼女が使わなくなったことで一台は空いたんだな、とつまらないことを考えてしまいます。

そらりすは、ATMやスーパーのレジで手間取って列のうしろの人を待たせることをひどく気にするタイプで、酸素濃縮機についても、医療危機を見越して彼女らしくさっさと次の人に譲ったのかな・・・そんなはずはないですよね。

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そらりすのことを皆さんに覚えていていただくためにもブログは続けたいのですが、おんなじようなことしか言えそうにないので、当面はこんなふうに、ぽつんぽつんとどうでもいいことを書く感じになると思います。またお付き合いいただけたらうれしいです。

 

コロナ禍の収束とともに、非結核性抗酸菌症患者の皆さまが少しでも快方に向かわれることを願います。

 

コロナ禍の闘病生活

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新型コロナが大変なことになっていますね。

そらりすが亡くなったのは5月11日でしたが、なにごともなければ15日に訪問診療でワクチンを接種する予定になっていました。

注射のためにどこかに出向いて行かなければならないとしたらどうしよう、と困っていたのですが、自宅で射ってもらえるとドクターから知らされたときはホッとしました。病人にとっては外出自体が高いハードルですし、人が集まる場所で長時間待たされるようなら、コロナのリスクには目をつぶってウチに留まっていることを選んだかもしれません。

コロナ対策には批判の声も多いようですが、ワクチン接種の体勢については、私は個人的には満足しています。注射の当日、そらりすの体調を診て無理と判断された場合も、延期して、薬剤についてはムダにならないように「代わりにダンナさんに」ということまで決めていました。私自身が実際に1回目の接種を受けられたのは結局7月の下旬でしたが、こちらも文句をつけたくなるようなことは全然なく、会場の案内などもスムーズで密を避ける配慮が行き届いていたと思います。

 

コロナに関しては、入院のときに検査で時間をとられた、入院した後はした後で面会が禁止、病院で感染者が出たために退院を早められた等々、大変なこともありましたが、いわゆる医療崩壊のせいで受けるべき治療が受けられなかったということはなかったと感じています。地域や医療機関によって事情はさまざまでしょうし、治療が受けられず厳しい事態を余儀なくされた方もいらっしゃるのでしょうが、そらりすに関してはそれはなかったと言っておいていいと思います。(これまでに私が書いて来た非結核性抗酸菌症の治療方法への懸念は別の問題です)

 

それはそれとして、非結核性抗酸菌症も新型コロナも肺の疾患なので共通点も多いようで、酸素吸入、パルスオキシメーター、レントゲン写真が磨りガラス状等々、ニュースで伝えられる言葉が、聞いたことのあるものばかりで、複雑な思いがあります。発症した方の状況も、そらりすの病状からおおよそ察することができます。しかし、私個人の本当に勝手な思いを言えば、「非結核性抗酸菌症のことも、コロナとおなじくらい世界中で騒いでくれよ」と叫びたいです。少なくとも、私にはコロナより非結核性抗酸菌のほうが重要な問題ですから。

 

 

5月以降、そらりすのあとを受けてこのブログを続けて来ましたが、医療・闘病生活に関して言えることはほぼ言ってしまった感じがします。おなじ病気で苦しんでいる方々のために少しでも情報を提供するという趣旨からすると、そろそろ止めどきかもしれません。しかし、ことさらに休止宣言する必要もないですし、思いついたことがあれば今後もぼちぼち書いていっていいかなという気もしています。更新の間隔は空いてしまうと思いますが、これからもよろしくお願いします。

 

コロナに関しては一日でも早い終息を願います。なにを信じていいのかわからない気持ちもあるにはありますが、蔓延を防ぐ呼びかけには協力したいと思っています。そして、非結核性抗酸菌症の治療にも、そらりすの苦しみをムダにしないため、柔軟で実効性のある方法が確立されることを望みます。

 

そらりすを想ってくださっている方々、このブログを読んでくださっている方々に、あらためて感謝いたします。ありがとうございます。

 

アイスクリームとビール

暑いですね。

ウチは、太陽光を遮る屋根も壁も貧弱で、冷房をかけていてもひどく暑いんです。

去年(2020)の初冬、そらりすが在宅酸素療法を始めてほぼ引き籠もり状態になったときから、夏になったらどうなることやらと心配していました。対策としてはエアコンの設定温度を下げるぐらいしかないのですが、冷房で冷やしたら冷やしたで、それも彼女は弱いのです。

そらりすが亡くなったのは5月でしたが、存命で闘病生活が続いていたとしても、この一、二週間の暑さに彼女は耐えられたかな、と考えてしまいます。ただでさえ息が苦しいところに、熱気と湿気でさらに辛い思いをするのだったら、こういう結果でよかったのかもしれないという気もしないではありません。早すぎた死はもちろん悲しいのですが、暑さに苦しむ彼女の姿を想像するのも胸が痛みます。

 

そらりすが暑さに弱いのは、病気がひどくなる以前からでした。痩せて胃腸が弱くて、汗もあんまりかけない体質で、熱のダメージをもろに受けてしまうのでしょうか。毎年、夏はしんどそうにしてました。

「負けないよ」

冗談っぽく虚勢を張って言う彼女に、私は「もう負けてるじゃないか」とからかって、二人でよく笑ったものでした。

胃腸が弱いので、冷たいビールやアイスクリームもNGでした。30代ごろまでは大丈夫だったはずですが、だんだん自分でセーブするようになって、ビールならひと口だけ、アイスクリームもひと匙だけみたいな時期もありましたね。

もともと食が細いくせに味にはうるさいやつで、それがちょっとしか食べられないから安物はいやだということで、ハーゲンダッツのストロベリーのイチゴの赤い部分をスプーン一杯だけ食べ、「わがままなお姫様みたいだな」と言いながらあとは私が食べたりしていたのも、今になってみれば楽しい思い出です。

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去年の夏には、そんなことももうできなくなっていました。私が発泡酒を飲んでいるのを見て、「いいなあ、わたしも飲んだくれたいなあ」と言ってはいましたが。

「ちょっと舐める? ビールじゃないけど」

「だったらいらない」

でも、ビールだったとしても彼女は飲まなかったでしょう。

 

もし天国というものがあるとしたら、今は好きなだけビールを飲んでハーゲンダッツを食べているのかどうか。なんとも言えませんが、少なくとももう苦しんだりガマンしたりはしなくていいんだよね。あなたは、十分がんばったからね。

 

排痰リハビリ

結核性抗酸菌症の患者さん、または身近に患者さんがおられるという方で、リハビリの排痰法をご存じない方は、千住秀明先生によるこの方法を一度ご検討なさってみてはいかがでしょうか。

 

 

病気の治療はクスリと手術だけではありません。身体に外的に刺激を与えることは、病気の種類にもよるのでしょうが実はとても有効な手段であるはずです。にもかかわらず、これが軽視されているのは残念、という以上に大きな問題だと思います。

 

「もっと早く知りたかった」という意味の言葉をこのブログで何度も発して来ましたが、排痰法はその最たるもので、悔しい限りです。

そらりすは、これを自力でネットで見つけました。病院からの紹介などは一切ありません。

そして、もうひとつ残念なのは、この方法が、専門家の指導を受けないと習得がむずかしいということです。YouTubeを見てやってみても、効果が得られるところまではなかなか行き着けないようです。動画に登場する患者さんも、「半年かかった」と言っています。

 

加えてそらりすと私の場合、不運だったのは、コロナ禍でこのリハビリの外来受付がストップしていたことです。

「しょうがない。一年もすりゃ行けるようになるかな。電車じゃ無理だから、オレが休みとってレンタカーで送って行けばいいか」

などと話していましたが、コロナはまだまだ終息には遠く、それよりも早くそらりすの身体は限界を迎えてしまいました。

YouTubeの動画を初めて見たときは、「これならなんとかなるかもしれない」と期待したのですが。

そらりすは、自分なりに工夫してチャレンジしていたようですが、どうしても咳が出てしまって大変だったみたいです。私も、自分が病気ではないので、痰が溜まっている苦しさがそもそも理解できていなくて、痰を出すということになるとまったく「???」なので、手伝ってやれないのがもどかしかったです。

 

去年(2020)初冬、在宅看護となってから、そらりすは週一回のリハビリを行っていました。特に排痰を目的としたものではありませんが、以前、入院中に受けていたリハビリとはちがって、一対一で個人に合ったメニューを用意してもらえるのがよかったです。最後のころは自分で動くことはやめて、マッサージを受けるだけになっていましたが、「気持ちがいいよ」と彼女は言っていました。

 

結核性抗酸菌症の治療に於いてリハビリがほとんど無視されているのは、医師ではなく理学療法士マターであること、理学療法士のなかでも排痰の知識を持っている人が少ないことが原因でしょう。しかし、世の中が変わるのを待っていてもしょうがありません。早めに患者側からアクションを起こすしかないと思います。

イチゴのガウン

「そらりすさんって、おしゃれね。たいしたものは着てないけど」

そんなことをある人から言われた、と彼女から聞いたことがあります。

「たいしたものじゃなくて悪かったな。でも、その通りか」そらりすは笑っていました。

高級品を買いまくる財力が私たちになかったのは事実です。そして、そらりすは、たしかに服にこだわりを持っていました。どんなこだわりかと問われるとうまく言えないのですが、基本的にはシンプルなスタイルが好きで、でもシンプル一辺倒じゃつまらないから遊びっぽい色や柄も取り入れたくてあれこれ迷っている、といった感じでしょうか。ともあれ、微妙な色や形のちがいに対しては、とても繊細な感度を彼女は持っていました。

だからなのか、自分が着るものを選ぶよりは、ちょっと昔のドレスやスーツについてオタク的に研究するほうが楽しかったのかもしれません。シャネルとスキャパレリのライバル関係とか、ツイードは英国貴族が使用人に着せたのが起源だとか、彼女のおかげで私もいろいろ勉強になりました。

 

病気でウチにばかりいるようになってから、そらりすが服をもっぱらネット通販で買うようになったことは前回書きました。外出着ではやはりシンプルなファストファッションを注文していましたが、パジャマは賑やかな柄物を選ぶようになったのは私にもわかる変化で、ちょっと意外に感じましたが、

ベッドにいる時間が長くなる → パジャマの着替えが多く必要 → 安いものを選ぶ 安物はダサい柄のものが多い

ということなのでしょう。

4回目、最後の入院中に、そらりすが注文したフリースの中国製ガウンが届きました。なんと、イチゴ模様。それも、どぎついほどはっきりしたイチゴで・・・

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けど、このころになると私にもなんとなくわかっていました。派手でかわいい柄の服を着ることで、彼女はしんどい自分を奮い立たせようとしていたのです。

 

そしてもうひとつ、今だから思うことなのですが、彼女は子どもに返ろうとしていたような気もします。

 

ガウンは、立って動くときに着るので、横になっていることが多くなったそらりすには、あまり役に立たなかったかもしれません。

最後のころ、そらりすはふつうの食事ができなくて、少しのイチゴだけ食べていた何日かがありました。

「イチゴのガウン着てイチゴ食って、昔のベタなアイドルみたいだな」と私は冗談を言ったような気がします。痛々しい姿でしたが、俗っぽさがなくて妖精じみたようなそらりすを、かわいいと私は思いました。ほんの数日後にその日が来てしまうことになるとは、想像もしていませんでした。彼女はなにを思っていたのか、もう誰にもわかりません。

 

衣類の整理

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そらりすのタンスの底からウサギ模様の日本手拭いが出て来ました。「かまわぬ」のものだとしたら太田美術館のショップで買った可能性が高いのですが、いつのことだったかは思い出せません。もしかして原宿でなく浅草だったかも? ただ、二人で出かけたときに買った記憶はぼんやりあります。

そして、皮の手袋は、彼女が独身時代にイタリアで買ったもの。お母さんへのお土産だったのですが、サイズが小さすぎて手が入らず、結局そらりすが使っていました。

こういうものだったら場所もとらないし、手元に残しておくことにします。

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そらりすの衣類を少しずつ処分しているところです。なかなか辛い作業です。

こういう場合どういう手順で行うのが正統なのでしょうか? 初七日も四十九日もやらないくせに、そんなことを気にするのは、やはりサッサと捨てることに抵抗を覚えるからなのですが、私なりに考えてみて、捨て方に伝統的なしきたりとかルールとかはないとの結論に至りました。

かつて、着物は貴重なものでしたから、持ち主が亡くなったときは形見分けとして近親者に贈られ、仕立て直したりして使われ続けたのでしょう。引き取り手のないものは古着屋に売られ、傷んだものは袋物や小物に作り直されました。

現在も、ブランド物なら下北沢あたりの古着屋に持ち込んだりネットで売ったりという手段があるのでしょうが、そうでないものは廃棄するしかないのでしょう。

亡くなって2ヶ月もたっていないし、そう急ぐことはないじゃないかという気持ちもあるにはあるのですが、家賃負担の軽減のため一人暮らし向きの部屋に冬ごろには引っ越したい事情が私にはあり、切羽詰まって慌てなくてすむよう少しでも準備を進めておいたほうがいいかなと思っているのです。

 

彼女が身につけていたものを順々に捨てていくのは心が痛いのですが、そう言いながらも、今度の場合はいろいろな巡り合わせに助けられて、実は私はかなり楽をさせてもらっているとも言えます。なんといっても、3年まえにも引っ越しをしたばかりでしたし、そのときに、そらりす自身の手で若いころの衣類は思い切って処分してしまったからです。トラックに積む荷物をなにがなんでも減らさなくてはならなくて、昔のDCブランドのワンピース、オーダーメイドのスーツ、友人の結婚式で着たドレスなど、「もう着ないね」ということで、片っ端からゴミ袋に詰め込みました。

そういうわけで、おしゃれ古着屋に持ち込んだほうがいいかどうか迷う服、思い出が詰まった服というようなものは残っていなかったのです。ウサギの手拭いみたいな懐かしいもの、彼女のこだわりが伝わって来るものが山のようにあったら、今の私は心身ともにもっと大変な思いをしなければならなかったはずです。

そして、3年もたてば、ふつうの女性なら新しい服がまた増えているのでしょうが、既に病気で外出の頻度が極端に減っていたそらりすは、ファッションから遠い生活を余儀なくされてしまっていたのでした。ウチに引きこもって、たまに外に出るのは近所のスーパーと病院だけ。メイクをすることもなく(もともとスッピンでいることが多かったのですが)、服も最低限のものがあればよくて、彼女はもっぱらネット通販で安い服ばかり買うようになりました。

もっとも、ファストファッション隆盛でネットで服を買う人が増えていて、病人だけでなく世の中ぜんたいがそういう傾向にあり、繁華街の人ゴミにもまれて買い物に行くのが苦手だったそらりすには合っていたのかもしれませんが。

白黒チェックのワンピースは、たぶん一度も袖を通してなかったと思います。看護師さんに「好きだった服はありますか?」と訊かれ、たまたま目に入ったので遺体に着せてもらいました。あれは外出着のつもりで買ったんでしょうか?

その他、ベージュのコート、水色のセーターとか、いろいろ捨てました。ゴミ袋に入れるとき、思わず、「ごめんね」と言いました。彼女に謝ったのか、服に謝ったのか?

 

黒いキャップは、最後の冬、通院のときにかぶっていました。ふだんはウチに引きこもっていて、病院に行くのに、ドアからタクシーまでの距離とはいえ、いきなり寒風にさらされるのはダメージが大きいにちがいなく、これで少しは防げたかどうか。この帽子は残しておきます。

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