コロナ禍の闘病生活
新型コロナが大変なことになっていますね。
そらりすが亡くなったのは5月11日でしたが、なにごともなければ15日に訪問診療でワクチンを接種する予定になっていました。
注射のためにどこかに出向いて行かなければならないとしたらどうしよう、と困っていたのですが、自宅で射ってもらえるとドクターから知らされたときはホッとしました。病人にとっては外出自体が高いハードルですし、人が集まる場所で長時間待たされるようなら、コロナのリスクには目をつぶってウチに留まっていることを選んだかもしれません。
コロナ対策には批判の声も多いようですが、ワクチン接種の体勢については、私は個人的には満足しています。注射の当日、そらりすの体調を診て無理と判断された場合も、延期して、薬剤についてはムダにならないように「代わりにダンナさんに」ということまで決めていました。私自身が実際に1回目の接種を受けられたのは結局7月の下旬でしたが、こちらも文句をつけたくなるようなことは全然なく、会場の案内などもスムーズで密を避ける配慮が行き届いていたと思います。
コロナに関しては、入院のときに検査で時間をとられた、入院した後はした後で面会が禁止、病院で感染者が出たために退院を早められた等々、大変なこともありましたが、いわゆる医療崩壊のせいで受けるべき治療が受けられなかったということはなかったと感じています。地域や医療機関によって事情はさまざまでしょうし、治療が受けられず厳しい事態を余儀なくされた方もいらっしゃるのでしょうが、そらりすに関してはそれはなかったと言っておいていいと思います。(これまでに私が書いて来た非結核性抗酸菌症の治療方法への懸念は別の問題です)
それはそれとして、非結核性抗酸菌症も新型コロナも肺の疾患なので共通点も多いようで、酸素吸入、パルスオキシメーター、レントゲン写真が磨りガラス状等々、ニュースで伝えられる言葉が、聞いたことのあるものばかりで、複雑な思いがあります。発症した方の状況も、そらりすの病状からおおよそ察することができます。しかし、私個人の本当に勝手な思いを言えば、「非結核性抗酸菌症のことも、コロナとおなじくらい世界中で騒いでくれよ」と叫びたいです。少なくとも、私にはコロナより非結核性抗酸菌のほうが重要な問題ですから。
5月以降、そらりすのあとを受けてこのブログを続けて来ましたが、医療・闘病生活に関して言えることはほぼ言ってしまった感じがします。おなじ病気で苦しんでいる方々のために少しでも情報を提供するという趣旨からすると、そろそろ止めどきかもしれません。しかし、ことさらに休止宣言する必要もないですし、思いついたことがあれば今後もぼちぼち書いていっていいかなという気もしています。更新の間隔は空いてしまうと思いますが、これからもよろしくお願いします。
コロナに関しては一日でも早い終息を願います。なにを信じていいのかわからない気持ちもあるにはありますが、蔓延を防ぐ呼びかけには協力したいと思っています。そして、非結核性抗酸菌症の治療にも、そらりすの苦しみをムダにしないため、柔軟で実効性のある方法が確立されることを望みます。
そらりすを想ってくださっている方々、このブログを読んでくださっている方々に、あらためて感謝いたします。ありがとうございます。