ぼた餅で叙情的に
今日は春分の日、御彼岸の中日です。
先祖の墓参りをし、精進料理やぼた餅をささげる日です。
今でこそスーパーやコンビニで和菓子が楽に買えますが、私が幼いころ、つまり大昔はそうではありませんでした。
特に年中行事もののぼた餅などは近所から回ってきます。
このぼた餅が世間並みなら、私ももっと早くに和菓子好きになったかもしれないんだけどな。
そうじゃなかった。近所の「おばやん」が持ってくるのは世間並みのぼた餅じゃなかった。
重箱にただ炊いただけの餅米をいれ、その上をおおいつくすようにあんこを盛る。
それだけ。ただそれだけ。それでぼた餅だって。
当時甘さ控えめなんて概念はなかったから、あんこは脳天つきやぶるくらい甘かった。
あれは、なんだったんだろう。おばやん特製の手抜きぼた餅か。
北関東のおばやんがメンドクサクなったら、それをさえぎるものは何もない。丸めろだの、あんこを中にしろだの外にしろだの、おばやんに言っても無駄です。
たぶん、おばやんの手抜きのせいで私はぼた餅の印象はよくない。
今時のスーパーで売っている安物のぼた餅のキュートなことよ。
昨日食べたセブンイレブンの豆大福の繊細さよ。
感激して大正時代の叙情詩風に詠嘆してしまいました。