非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

肺病やみのピカレスク。とっても元気

遠出のできない私の年末年始の娯楽はやっぱりテレビってことで、NHKBSでやっていた映画なんぞを見ていました。

 

古い映画が多かったけれども、その中でもひときわ古い「幕末太陽伝」。1957年公開のコメディ映画です。私でもまだ生まれていない時代の作品。20代で見ておもしろかったのでまた見てみたけれど、これがまだ新鮮なおもしろさを失っていないのに驚きました。

 

居残り佐平次」という古典落語から拝借したキャラを、当時のコメディアンである「フランキー堺」が演じています。フランキー堺は怪獣映画にもよく出ていたから、今の若者でもその方面のマニアなら知っているかもしれません。

 

居残り佐平次」というのは、かなりひねりのきいた小悪党ですが、これをフランキー堺が自由闊達に、ぬけぬけと演じてる。すごいです。

 

ざっと説明すると、「居残り」というのは、吉原で支払いが足りない客を監禁するシステムです。身内かだれかが残りの支払いをすませるまで布団部屋なんぞにおしこめて帰さない。

 

普通はとうぜん恥で苦痛である居残り。その居残りに佐平次は無一文で豪遊してわざとなります。そして、その店で太鼓持ち兼雑用係として人間ばなれした大活躍。結果としてそこの使用人たちの仕事・収入をおびやかし、「お願いだから、出ていってくれ」と言われるようにもっていく。もちろん、タダでは出ていかない。

 

詐欺のような、強請のような、とんでもないピカレスク。そのくせ 妙にかわいげのあるこのキャラに、この映画の監督・川島雄三は「たぶん肺病やみ」という特徴をつけ加えました。佐平次はときどきいやな咳をし、おそらく喀血しています。

 

ラストシーンでは、佐平次は「病気は天罰だ、今に地獄に落ちるぞ」と罵られ、「地獄も極楽もあるもんけえ。俺はまだまだ生きるんでえ。」と叫び、品川の海辺を走り去ります。

 

この映画には幻のラストシーンと言われているものがあって、アニメーターで映画監督の庵野秀明はこの幻のラストに影響をうけたそうです。それは、江戸時代の佐平次姿のままのフランキー堺が、時代劇のセットをつきやぶり、現在の(1957年)現実の街をどこまでも走り去るというもの。1957年当時、あまりにもシュールすぎて理解されないとして、見送られたそうです。

 

その幻のラストシーンを心に思い描いてみました。

 

肺病やみのくせにばかに元気な佐平次が、江戸時代そのままの恰好で、こっけいな闊達さで、時代劇のセットをつきやぶる。だれも彼には追いつけない。あ、いいな、この感じ。

 

私はその想像だけではあきたらず、1957年から勝手に昭和を通り過ぎ、平成を通りすぎ、令和の現代までつきやぶって走りこんでくるフランキー堺を思い描いてみました。おかしな顔のフランキー堺、とんでもなく生き生きとして、なんかへっちゃらで…

 

元気いっぱいじゃないの、肺病やみのくせしてさ。この想像、ちょっと元気が出ます。

 

 

幕末太陽傳 デジタル修復版

幕末太陽傳 デジタル修復版

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video