非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

「気が楽」って言葉、そのココロはけっこうエゴイスティック

便利でけっこうだけど、私はこうしてどんどん「人間の重さ」から離れていくような気がします。だって、そのほうが気が楽だから。

前回のブログでこんなことを書きました。で、ふと気がつきました。なんとなく使った「気が楽」って言葉、パート時代、ある同僚がよく言っていたっけ。

 

仕事としてそこまでやるほどのことはなく、場合によってはやらないほうがいいこともあるけど、その作業をやっておく。なぜなら、やっておかなくて他のメンバーに何か言われるのがイヤだから。

 

この「なにか言われる」の中身はたいしたことでなく、言い方も別にキビシイものでもなく、世間話レベルでも、とにかく「なにか言われる」のがイヤ。

 

なにか言われるくらいなら、過剰なくらいに作業をしておいたほうが「気が楽」。自分の作業が無駄に増えるわけだけど、そのほうが「気が楽」。

 

こうして彼女は私から見て過剰かな?と思われる小さい作業を少しずつ増やしていくのでした。そして、ときには私にもそうすることを要求します。「だって、そらりすさんもイヤでしょ、なんか言われるの。言われちゃうよ、言われちゃう。」

  

別のパート先では、先輩格が、二人でやったほうがいい仕事をあえて一人でやりたがり、逆らうわけにもいかないので、周囲はあえてそれにあわせていました。このときの言葉が「一人でやったほうが気が楽だから」。

 

結果として、その作業は、ほかの人間が覚えたり、慣れたりすることができない作業になってしまいました。

 

職場に「ワンオペ」が多い、隠れた理由のひとつにこれってあるかもな。ワンオペはたいへんだけど、そのほうが気が楽だからいいと思っている人も案外いるんじゃないでしょうか。

 

あ、もうひとつ「気が楽」を思い出しました。

「私の夫は家事をやるときに、くそっ、くそっ、うまくいかない!とか言いながらやっているの、こういうの関西でイラチっていうんだっけ?」

と軽く話をしたら、それを聞いていた若い女の子が、

 

「え?いやだ、そんな声を聞くくらいなら、私なら、かわりにやっちゃいます、そのほうが気が楽だから。」

 

うーん、そうやって私がその家事を引き受けると夫は自分でなにもできない人になってしまうんだけどな…

 

こうして考えてみると、なんだか「気が楽」ってけっこう罪が重いような気がしてきました。

 

作業を自分が引き受け、一見献身的である代わりに、「仕事はチームでどんなふうにやっていくとうまくいくか」を考えることをスルー。小さな悪口の種を回避できればそれでいい、または、自分のペースで仕事ができればそれでいい。

 

横目でみながら手を出さずに「他人にあえてやってもらう」ことのめんどくささをスルー。後輩や家族が、なにもできない人になってもそれでかまわない。

 

これってマズイよな…

 

「気が楽」って言葉、自分が言いそうなときにはちょっと考えてみようかな、と思います。けっこうエゴイスティックなココロが隠れていそうな気がするので。