非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

あけましておめでとうございます。元気になることに決めました

あけましておめでとうございます。本年も「非結核性抗酸菌症そらりす」をよろしくお願いいたします。

 

今年は元気になることに決めました。さっきお月さまに誓いました。もう決心するしかありません。今までやる気がなかったわけではないけれども、まあ、ここは強く決心するしかないということで。

 

要するに、「気合」?

 

「気合」に頼るのは、なんだかなんの打つ手もない上司やコーチみたいでイヤなんだけど、私の場合、だいぶいろいろ考えたし、西洋医学でやることはだいたいやったし、とっても高い漢方薬は効果待ちだし。(効いてきてるような気はしています)

 

もうほかにないということで、今まで嫌ってきた精神論でいってみようと思います。

 

とりあえず、正月早々、高笑いでもしちゃおうかな、かんらかんらと。

漢方薬を変えることになりました

漢方薬局から電話がきて、薬を一部変えることになりました。

 

  • 今までの粉薬を二分の一の量にする
  • 今までの煎じ薬の一部を粉にする
  • 新しく膿を出す煎じ薬を出す

 

ということに。どうなるのかなあ、効くといいなあ。

 

いろいろ考えてくださっていることは確かです。煎じ薬を粉にするとか、そういうテクニックもあるんですね。以前かかった保険のきく漢方の先生は、ただ薬を足していくだけでした。まあ、保険の漢方はすでに顆粒状になっているので、そうするしかなかったとは思いますが。

 

西洋医学の先生方は、私の病状に関してやることがもうなくて、清瀬の病院の先生方に相談していました。そして、ストレプトマイシンの注射をし、薬を増やして3剤投与が常識的なところを4剤にしたり、アミカシンの点滴をやったり、リファブチンというクラリスの効果を妨げにくい抗生物質をやったりしたけど…

 

結局、大して効かずに副作用が出てしまいました。炎症をくりかえした結果、気管支は拡張してべろべろに。だから、痰も止まらない。

 

私は運が悪いのかもしれないな。寒いし、銀行いきそびれて懐もさみしいし、息切れ止まんないしで、買い物から帰ったら、玄関のドアを閉めたところでいきなり涙が出てしまいました。いつも、ドアを閉めたところに座り込んでは息切れを鎮めるのですが、今日はそれに涙をを鎮める作業まで加わってしまいました。

 

しょうがないなあ。涙につづいて鼻水も出てくるし、痰は容赦なく出てくるし、まったく…

 

気をとりなおしてパソコンで漢方薬局に料金を振り込んでいると、夫が帰ってきました。

 

なぜか、お土産にどんぐりを持ち帰ってくれました。なつかしいなあ。若いころ、私はよくどんぐりを拾う癖があったことを思い出しました。

 

そうか、忘れていたよ。ここ数年、呼吸が苦しすぎて、いろんなことを忘れていた気がします。

 

まったく、どんぐりで機嫌が直るなんて、いくつだよ…安上りでいいっちゃいいけど。

 

 

昨日が呼吸器科の診察日でした

昨日が呼吸器科の診察日でした。CRP、白血球数は少し悪化。レントゲンは横ばい状態。

 

肺の中に空洞があり、その周りの壁があついのだそうです。そうすると、その壁のあたりで痰が大量に発生するんだそうで、確かにもう痰の多いこと。息切れもとてもひどく、我ながら病院からよくぞ帰ってこられたな、という感じ。

 

検査結果の紙を、漢方薬局にFAXしてみてもらいました。あとで電話がかかってきて、薬を変えるかどうか一日考えたいとのこと。

 

どうなるのかなあ、明日、電話をくださることになっています。

「気が楽」って言葉、そのココロはけっこうエゴイスティック

便利でけっこうだけど、私はこうしてどんどん「人間の重さ」から離れていくような気がします。だって、そのほうが気が楽だから。

前回のブログでこんなことを書きました。で、ふと気がつきました。なんとなく使った「気が楽」って言葉、パート時代、ある同僚がよく言っていたっけ。

 

仕事としてそこまでやるほどのことはなく、場合によってはやらないほうがいいこともあるけど、その作業をやっておく。なぜなら、やっておかなくて他のメンバーに何か言われるのがイヤだから。

 

この「なにか言われる」の中身はたいしたことでなく、言い方も別にキビシイものでもなく、世間話レベルでも、とにかく「なにか言われる」のがイヤ。

 

なにか言われるくらいなら、過剰なくらいに作業をしておいたほうが「気が楽」。自分の作業が無駄に増えるわけだけど、そのほうが「気が楽」。

 

こうして彼女は私から見て過剰かな?と思われる小さい作業を少しずつ増やしていくのでした。そして、ときには私にもそうすることを要求します。「だって、そらりすさんもイヤでしょ、なんか言われるの。言われちゃうよ、言われちゃう。」

  

別のパート先では、先輩格が、二人でやったほうがいい仕事をあえて一人でやりたがり、逆らうわけにもいかないので、周囲はあえてそれにあわせていました。このときの言葉が「一人でやったほうが気が楽だから」。

 

結果として、その作業は、ほかの人間が覚えたり、慣れたりすることができない作業になってしまいました。

 

職場に「ワンオペ」が多い、隠れた理由のひとつにこれってあるかもな。ワンオペはたいへんだけど、そのほうが気が楽だからいいと思っている人も案外いるんじゃないでしょうか。

 

あ、もうひとつ「気が楽」を思い出しました。

「私の夫は家事をやるときに、くそっ、くそっ、うまくいかない!とか言いながらやっているの、こういうの関西でイラチっていうんだっけ?」

と軽く話をしたら、それを聞いていた若い女の子が、

 

「え?いやだ、そんな声を聞くくらいなら、私なら、かわりにやっちゃいます、そのほうが気が楽だから。」

 

うーん、そうやって私がその家事を引き受けると夫は自分でなにもできない人になってしまうんだけどな…

 

こうして考えてみると、なんだか「気が楽」ってけっこう罪が重いような気がしてきました。

 

作業を自分が引き受け、一見献身的である代わりに、「仕事はチームでどんなふうにやっていくとうまくいくか」を考えることをスルー。小さな悪口の種を回避できればそれでいい、または、自分のペースで仕事ができればそれでいい。

 

横目でみながら手を出さずに「他人にあえてやってもらう」ことのめんどくささをスルー。後輩や家族が、なにもできない人になってもそれでかまわない。

 

これってマズイよな…

 

「気が楽」って言葉、自分が言いそうなときにはちょっと考えてみようかな、と思います。けっこうエゴイスティックなココロが隠れていそうな気がするので。

 

 

 

 

コンビニでどら焼き買って考えた

寒いですね。当然暖房もつけてるし、背中にカイロも貼ってあるし、もうこれ以上やることがあるとしたら、運動だけ。

 

ちょっと散歩がてらコンビニにいってきました。

 

コンビニではどら焼きをゲット。食べてみると、けっこうおいしい。コンビニスイーツに圧迫されて和菓子屋や洋菓子屋が苦戦しているとニュースに出ていたけど、なるほどなあ、と思います。

 

このクオリティなら、わざわざ和菓子屋にはいったり、テナントで買ったりしなくとも十分満足だと思います。それに、和菓子屋にはいってどら焼き1個だけ買うのは、ちょっとつらい。なんか悪いような気がして。私は古い人間なのかもしれません。たとえ一人暮らしで1個しかいらなくとも、せめて2個くらいは買うでしょう。

 

その点コンビニならほかのものといっしょに買えるから、どら焼き1個でも気が楽です。

 

そのお店に入ってひとつだけ買う、またはなにも買わないっていうのが気まずい。これが小さい個人商店にはいりたくない大きな理由です。

 

アパレルの服屋でゆっくりものが見られないのも同じ理由です。今どきは店員さんもあえてかまってこないけど、それでもなんとなく気まずい。でも、ユニクロなら平気。

 

こうして、相手の人間としての重さが感じられないところでものを買うようになっていく私…最たるものはネット通販。

 

どんなにひとつの商品を買うのにぐずぐずしても大丈夫。いったん買い物かごに入れた商品を取り消してみたり、個数を減らしてみたりしても平気。

 

ネット通販については、家にいるときの適当な恰好で荷物を受け取るのが、すこし気が重い。まあ、家でももっときちんとしていればいいんだけど。消費者のエゴだけでものをいえば、配達員はロボットにしてほしいなんて思ってしまう。でも、これってかなり不健康な考えじゃなかろうか。なんて思っていたら、「置き配」というやり方をAmazonが普及させようとしているらしい。

 

置き場所や宅配ボックスをあらかじめ指定して、手渡しの手間をはぶくシステムです。これなら、適当な恰好で荷物を受け取るストレスはなくなります。顧客側にもAmazon側にもメリットあるから、普及するかもしれません。紛失や盗難のリスクはありますけど。

 

便利でけっこうだけど、私はこうしてどんどん「人間の重さ」から離れていくような気がします。だって、そのほうが気が楽だから。

 

いいのか、それで。

 

そのくせ、このままじゃあ、ひきこもりだよう、と嘆いたりもしています。

 

いいのか、それで。よくないよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狐狸妖怪のいない世界で年をとるのはしんどい

昨夜夜中になにかが上から落ちてきた!と思ったら、シーリングライトの笠でした。ケガはしなかったけど、ものすごく驚いてしまいました。

 

今日になって、なぜか壁掛け式の扇風機に私がひじをぶつけて落下させてしまいました。幸いこれもケガもなく、扇風機も壊れなかったけど、なんだろう、ついてない。

 

なんだろう、って、いや、ホントはわかってる。つまり、私たち夫婦は年をとってどんくさくなってきたのです。シーリングライトの取り付けは夫がしてくれたけど、その取り付けが甘かったのかもしれない。扇風機激突は私がもともとよくない運動神経をさらに劣化させたせいだと思います。

 

つらいなあ。

 

大昔なら狐狸妖怪のしわざかも?とこの世のものでないもののせいにできたけど…昔話に出てくる狐に化かされた話は、だいたい当人が酔っ払っていたとかそんなところだと思います。それを、「自分、ダメだな」と思わずにいられたのは狐狸妖怪がいたから。まわりもそんな話を信じて聞いてくれたわけです。まわりも狐狸妖怪がいると信じている人たちだから。

 

もうそれはできません。狐狸妖怪はいません。ハクビシンならいるって町内会の掲示板に出ていたけど。

 

どんくささを、物忘れを、狐狸妖怪のせいにできない今の高齢者ってつらい。いわばどんくささも自己責任になってきたような。もう、老化すら自己責任になりつつあるような気がします。それも、高齢者自身の心の中で。

 

だから、いつまでも健康でいようと思って、健康食品に走ったり、筋トレに励んだり。努力すること自体べつに間違ってはいないとは思うけど、しんどいよね。

 

 

 

クリスマスソングにやられた

風邪はひと段落したようで、ほっとしてます。

 

ネット配信のオールドなクリスマスソングを聴いていたら、なんだかやたらとせつない気持ちになってしまいました。なんだかこたえる。今年はクリスマスソングが胸にこたえます。

 

仕事を辞めてはや2年。もっと早く治って別のパートを始めている予定だったのになあ。病気は大してよくなってない。CRPは改善しても、体感としての息切れはよくならず、仕事どころか近所の買い物もやっとです。

 

体重は28.1キログラム。我ながらよくまあ生きてるなって感じ。ものすごい省エネモードの体なんでしょうか。いつふいにスリープしても不思議はない感じです。

 

私は不安でさみしいのかもしれません。このままでいると、もうほとんどひきこもりだし。

 

外に働きに出られる体になれるかどうかわからないけど、もし出られたとして、職場の人としゃべれるかな?心の中でシュミレーションしてみます。仕事の話ならきっとできると思う…でも雑談は?何をしゃべればいいんだろ?

 

もともと雑談って得意でもなかったしな…それに、私のような半ひきこもりじゃなくとも、最近では雑談がむずかしくなっているかも、という気がします。

 

あたりさわりのない会話の筆頭格だった「天気の話」も、「気候正義」の登場で、その地位があやうくなってきました。天気の話のつもりが思いっきり政治っぽくなってしまう可能性だってある…

 

食べ物の話はどうかな?うーん、たとえばタピオカミルクティーの話を体重28.1キロで食欲あまりない私がしても説得力がないんだろうな。どだい、タピオカであろうがなかろうが、冷たい飲み物は飲めないのだし。

 

冷たい飲みものが飲めないから、ポカリスエットは夏場は室温、冬場はレンジで温めて飲んでます、とかってなると、あたりさわりはないとは言えるけど思いっきり病人話だよな、一般性に欠けるよな…

 

なんて、やくたいもないことを考えている私。だれでもない架空の職場の人とのあたりさわりのない雑談をシュミレーションしちゃってる私。

 

さみしいヤツじゃないの、思いっきり…だからクリスマスソングにやられちゃうのさ…