非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

入院を勧められて大ショック

一度目の入院を勧められたのは、2015年の11月のこと。

 

それまで、せいぜい微熱程度だった熱が37.8度まで出るようになり、当時33キロあった体重は1キロ減って32キロに。33キロで下げ止まるだろうと勝手に思っていた体重がさらに減ったことで私はあせりました。(今の29.3キロに比べれば、なんぼかマシだったな…)

 

当時の主治医に症状を訴えたら、「うーん、そらりすさん、これは一度入院したほうがいいかもよ」と言われて大ショック。これは職場に相談しなきゃなりません。当時はまだパートで働いていました、フルタイムで。

 

パートなのにフル。「フルパート」というおかしなコトバがあり、それがいつのまにか「メイト社員」という名前に変わったけど、中身はおんなじ。「夫がメインに働いて、妻は家計を助ける程度にちょっと働く」という昭和の価値観でできあがったパートというシステムは、人員削減の流れに押されて、ただ不利なだけの働き方に変容していました。

 

ひとつの店を三人で回す。「おそばん」と「はやばん」があって、二人が重なる時間は数時間。あとはワンオペです。その中で私が一カ月抜けるとなると、社員である上司が人を回す努力をしてくれたとしても、何日かは一日中、一人で店にはいらなければならない。

 

これを「通し」というのですが、通しはつらい。食事休憩のためによその店から一時間だけ応援がきてはくれますが、立ち仕事で11時間労働はたいへんです。一カ月入院する私に対していい顔はできないでしょう。

 

「退職してくれないかなー」というムードにはならなかったのは、2015年当時からすでに人手不足が目立ってきていたから。

 

募集をかけても人がこない。やっと人がはいってきても、ぎりぎりの人数で店を回すために、とにかく一刻も早く一人前になってほしいという思いが強すぎて、周囲が新人にきつくあたるケースも多い。だから、新人はきても居ついてくれない。

 

「これは損な職場だな」と察知して早々に辞めていく新人も当然います。

 

こうして半年たっても人が決まらない店がザラにある状態だから、一カ月の入院ならガマンして待つほうがまだしもマシという判断になる。

 

なんとか相談して翌年の一月なかばに入院することが決まりましたが、正直、けっこうなストレスでした。

 

2008年、夫が働いていたネットベンチャーが倒産し、私が夫からまわしてもらっていた在宅仕事もなくなり、夫婦で無職になりました。悪いことにリーマンショックの年で、バイトすらなかなかない状況…派遣切りやらクビやら体験しました。

 

このパート先にたどりつくまで苦労した…だから、それほどいい職場でなくても辞めたくなかったんです。