非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

桜桃の味か、餃子の生地の弾力か

この連休は、手作り餃子をつくって、楽しくすごしました。

 

「皮から餃子をつくる」というのは、私たち夫婦が昔よくやっていたもので、まあ料理遊びのようなもの。出不精の二人にはぴったりの遊びだったのですが、約10年前の夫の働く会社の倒産につづく二人しての失業、その後それぞれいくつか仕事をかわり、その過程で私の病気が進行、私だけまた失業という経過をたどったので、お互いこういう遊びをする気分にもなりにくく…

 

でも、去年の年末から10年ぶりに餃子つくり復活。とはいえ、年末は私はまだ体がしんどくて、生地を伸ばす作業を手伝っただけで、あとはほとんど夫にやってもらうことになってしまいました。

 

残念。今回は、ぜひ生地をねるところもやりたいな。

 

餃子つくりの楽しいところは皮つくりで、生地をねるところがいちばん楽しいと私は思っています。

 

特に小麦粉とお湯で生地をある程度まとめたあとで、油を足すと弾むような弾力が出る、あのとき。手の平にはじめて押し返すようなその感触を味わったときには感激したものです。おおげさに言えば、生きててよかったって感じ。これを知らずに死ななくてよかったって感じ。

 

で、今回生地をねるところでそれが味わえたかというと…

 

私の体力の低下はやっぱりかなりのものでした。油を足すところまではなんとかできたのですが、弾力を感じるところまで生地をねりあげる力がありません。体重をかけてやってみても、なにせ以前から10キロちかく少ない28キロだから、ぜんぜん効果がない。

 

目が回りそうになって、結局、途中で夫に代わってもらうことになりました。

 

少し休んだ後、皮を伸ばしたりすることはできましたが、残念です。おいしくできたし、充分楽しかったのですが…

 

次回は、弾力を感じるところまで体力回復したいな。あの感触をまた味わうことができれば、元気になれるような、そんな気がするから。

 

ふと、昔みた「桜桃の味」というイラン映画の「さくらんぼの味を味わいたいとは思わないのか」というセリフを思い出しました。それは生きることを自分で味わおうとは思わないのか、という意味だったような。自殺願望をもつ主人公にそれを思いとどまらせたいオジサンのセリフです。

 

もしかして、私にとって、さくらんぼの味にあたるものが餃子の生地の弾力なのかもしれません。あんまり絵にならないけど。

 

もし私が同じテーマで映画を撮ったら、「桜桃の味」ならぬ「餃子の生地」という映画になったりして。

 

「餃子の生地の弾力を手の平に感じたいとは思わないのか」って、名セリフになるかなあ…ちょっと一般性に欠けるかもな…