非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

食欲ほぼゼロの状態でスーパーにいく

食欲ほぼゼロの状態はなかなか改善しませんでした。

 

パート先で、

「好きなもの食べればいいんだよ。そらりすさんの好きなものってなに?」

とアドバイスしてもらっても、なにも浮かんでこない。ただ、頭の中が真っ白になるだけ。

 

この病気になる前は、私は料理が好きでした。シフォンケーキ焼いてみたり、スパイスクラッシャーを使ってインドカレーに挑戦したり。食が細いわりには楽しくやっていた。だから、料理に関して知識がないわけではありません。

 

それなのに、なにも浮かんでこない。なにひとつ。私は、なにが好きだったんだろう。

 

この状態でスーパーに買い物にいくと、つらい。なんの感情も感覚も刺激しない品物が、えんえんと並んでいるのを見ていると、どうしていいかわからなくなる。

 

家族を喜ばすために料理する、というけなげな人間ではなかったことも災いしました。

 

私は夫に「今日は、なにを食べたい?」と聞くことがほとんどありませんでした。その日スーパーにいって、よさそうな材料から献立を考えるというやり方で、さして問題なくやってきたのですが…

 

「この魚がよさそうだ、この野菜がよさそうだ」と感じるためには、食欲ってものが必要だったということに、ここではじめて気づきました。そうだったのか…

 

よさそうな材料から献立を考えるというやり方は、もう使えないんだ。

 

こうなるまでに慢性の胃腸障害があって、油っこいものや、消化に悪そうなものは食べられなくなっていたので、食べられるものはあまり多くありません。だから、選択肢は少ないはずなのに、思い浮かべるのがやっと。なかなか頭が働かない。

 

食欲ほぼゼロの私の前で、スーパーの棚はどこまでも横に伸びていくようです。もう、早く買い物をすませて家に帰りたい、という気持ちでいっぱいになる。

 

「主婦がうつ病になると、まず献立を考えられなくなる」と本で読んだことがあります。その感覚がわかるような気がする。

 

身内のうつ病の人が、材料宅配を利用していたのを思い出しました。届いた材料でレシピどおりに作るならきっとできるんだろうな。

 

「決める」「選択する」ということができなくなる。私は食欲ゼロでそうなった。欲が落ちるとそうなるのかもしれない。

 

「決まったことならできるだろう」という夫のアドバイスもあって、夏はうどん、冬は鍋、ととりあえず決めることにしました。