非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

黄色の見えない世界には、「生気」がなかった

エサンプトールをやめた初日、元旦でした。やめたからといって、すぐ視覚障害が治るわけもなく、異常な視界はそのまんま。

 

テレビをつけると、画面の色がおかしい。昔、定食屋やラーメン屋にあった古いブラウン管テレビを思い出しました。色が薄いような、マゼンタとグリーンが強すぎるような、へんな色合い。

 

商品のチラシに「二色」ってものがあったな。カラーでチラシを作ると高くつくから、CMYKの4色のうち、二色だけを使って、「カラーっぽく」印刷するというもの。今、見かけることはまずありません。この「カラーっぽい」印刷面とも似た感じ。

 

この点では、なにかと昭和の香りのする視覚障害ですが、それはカーテンをひいた、光の弱い室内にいるから。

 

カーテンを開け、窓を開けると、まったく違う世界が広がっています。白いものと、青いものが白い煙を上げて燃えあがっている。まぶしい。とてもまぶしい。白と青だけが目立つせいか、他の色は精彩を欠いています。

 

世の中に他の色はたくさんあるはずなのに、見当たらない。

 

昨日の眼科の先生は、「青や黄色が見えなくなる人がいる」っていってたな。私の場合、たぶん黄色が見えなくなっている。

 

黄色はあまり好きな色じゃなかったけれども。食卓のバナナの色が白っぽい粘土みたいになりはてているのを見ると、ため息しか出ませんでした。

 

黄色いものってなんだっけ。バナナ、ビタミン入りのど飴のパッケージ、排水溝クリーナーの洗剤のボトル、使い捨てカイロの袋…

 

商品のパッケージには黄色が結構多い。元気な、いかにも商業主義のおしつけがましい鮮やかな黄色が私は苦手でした。でも、黄色のない世界のなんとさみしいことだろう。

 

鮮やかな黄色とは別に、他の色に静かに紛れ込んでいる黄色もあるはずだけど、それも見えない。

 

そうした黄色は、ものに一種の「生気」を与えているのかもしれないな、とこのとき思いました。私にはその「生気」が見えない。

 

近所の家のクルマの色。たしかニュートラルな赤だったはずが、あずき色がかってくすんで見えるのは、そのせいかもしれない。

 

このまま生気のない視界に慣れて生きていくのか。仕事を続けるうえでいちばんの問題、視界の真ん中の白いもやもそのまんま、治らない。

 

肺のほうも心配です。エサンプトールは、もともと呼吸器科の先生が必要だと判断したから出した薬ですから、やめたせいで急に悪化する可能性はあります。

 

自分の判断は正しかったのか…

 

不安な気持ちをかかえながら、正月の一週間をすごすことになります。