50年前、小学生だった私は食べたことのないピザの手作りにいどんだ
それは50年前、むかしむかしのオハナシ。私にまっとうな食欲というものがあったころのオハナシ。
50年前、小学生だった私は、ピザというものが強烈に食べたかった。いや、正確にいえば「食べてみたかった」。食べたことがなかったから。
でも、50年前ですからね。やっと「ピザトースト」というものが出はじめたばかり。デリバリーのピザもなければ、パン屋でピザを売ってもいない。昭和40年代の町にイタリアンレストランなんてものは存在しない。
そんな状況で、私がなぜピザというものを知ったのか。
テレビ?と普通は思うでしょうが、お堅く、なおかつややマニアックな公務員家庭のコドモである私の情報源はひと味ちがった。
それは「暮らしの手帳」でした。私は暮らしの手帳ではじめてピザというものを知った。
元教師の母はこの雑誌の愛読者でした。当時この雑誌には西洋料理の詳細な作り方がのっていたのです。私はそれを見てクッキーなんぞは焼いていた小学生でした。
ピザは、ピザトーストと似ているだろう、たぶん。だから、上に載っているものは、ピザトースト用のものでOKだろう、たぶん。
問題は「生地」だな、と。家に小麦粉はあったので、暮らしの手帳に書いてあるとおりに生地打ちに挑戦。
今、考えるとへんな小学生だなと思う。だって、食べたことのないピザ生地を手作りしようなんて。
後に大学生になって、司馬遼太郎の「花神」を読んで、えらく感動したルーツがここにあります。「花神」の主人公、大村益次郎はほとんど見たこともない西洋の兵器を、文献から起こして実用化した人物です。
この、文献でしか見たことのないものを、なぜか、なぜか作ってみようとする精神。大学生になった私が大村益次郎に共感したのは、たぶん、この精神。ニホンジンらしいかもね。
さて、ピザ生地は案外かたちになり、サマになって最後は麺棒でのばされました。具材はピーマンとソーセージ、玉ねぎ。上にピザトースト用のチーズをのせて、さあ、オーブンへ。
このオーブンというのが、またすごい代物だった。電気オーブン?ガスオーブン?いやいや、そんなもんじゃない。
単なる鉄でできた箱です。これこそは、暮らしの手帳推奨の、ものすごくシンプルなオーブン。これをガス台の上に、よっこらしょ、と乗せて使います。中はちゃんと二段式。
飾りっけなしはけっこうだけど、飾りはおろか目盛りにあたるものもナシときてる。火加減はどうするかといえば、ガスの火でやるしかありません。
それでも小学生の私は果敢に火加減にとりくみ、ピザを焼き上げました。できたぞ!
いさんでオーブンから出したピザは、どうだったかというと…
見た目は、うーん、丸い生地に食パン用のチーズがあわなかったのかいまひとつ。具材から水が出てしまい、真ん中が水っぽくぐちゃぐちゃになっている。
「見かけじゃないヨ、中身だヨ」という昭和的価値観をしこまれた小学生だった私は、食べてみればオイシイかもしれない、という期待をこめて頬張ってみました。さて、人生最初のピザの味は…?
まずかったです。本当のピザはこんなにまずくはないだろう、失敗したなあと思いましたが、それも不思議なコトで。本物を知らないのに、なぜそれが「失敗」と思うんだろう。
「花神」を読んで感動できる年齢になって、私ははじめて本物のピザを食べました。小学生時代の自作品とは似ても似つかないそれは、おいしかった!
もう50年も前のコト。おばさんの、むかしばなし。