非結核性抗酸菌症そらりす

非結核性抗酸菌症の患者の日常・投薬歴・入院歴です

「ただ聞く」というルールのある場があるといいな

今日は一日寝ていました。おかげで、38度台の熱は出ることもなく、いつもの調子にもどりつつあります。

 

amazonで買った古いミステリーを読んですごしました。80年代の作品で、落書きだらけで荒れていたニューヨークを舞台にした小説です。

 

ミステリーとしての本筋よりは、アルコール依存症の探偵である主人公がいかに自分の問題とつきあうかに重点がおかれています。心の傷をひきずるためにアルコールにおぼれ、AAの会というアルコール依存者の会に参加する探偵の姿には、心うたれるものがありました。

 

このアルコール依存者の会では、他人が体験を話しているときはただ聞くというルールがあります。ただ聞くことができない人は退場させられます。

 

なんだか私、この会に参加してみたくなりました。別に依存症ではないけれども。

 

「ただ聞く」というルールがある場があったらいいな、と思いました。

 

私は治らない病気を抱えているけれども、余命宣告されているわけでもない、中途半端な状態です。こういう体験談を他人に話す場合、自分のほうがもっとたいへんな思いをしている、とかぶせられるか、こうすれば解決すると言われるか、今までこうしなかったから病気になったのだと説教されるか…

 

よくあるパターンですし、自分自身も他人の話に対してそんな風なあしらいをしているのかもしれません。

 

でも、「ただ聞く」というその場のルールがあれば、少なくともその場においては、裁くことも裁かれることもなく、互いの話を聞けると思います。

 

そんな場って、もうすでにあるのかもしれません。患者の会みたいなものかな?

 

八百万の死にざま (ハヤカワ・ミステリ文庫)

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