高齢の親の差別感情について
私の親はもう80代後半。後期高齢者で、すこし認知症も出てきています。
その親が、ときどき差別を口にするらしい。
まず、朝鮮半島の人々、たぶん中国人、東南アジア一般も差別していると思います。なぜ「らしい」とか「思います」なのかというと、親が差別を口にするのは、姉の前でだけだから。私の前では少なくともあからさまには口にしないから。
なぜか、姉には言うらしい。そこで姉は激怒。姉はまじめだからどうしてもこういったことが許せないらしい。
なぜ、姉の前では差別を口にし、私の前では口にしないのか、私にはわかりません。おかげで、親からの差別意識の引継ぎはあまりしないですんだので、結果的にはよかったと思っているのですが。
差別でなないけど「きらい」ということでは、イタリアに関しては、両親ともにきらいだな、とは若いころから思っていました。こちらは差別ではないからなのか、私の前でも多少口にしていました。
理由は、しばらくしてわかりました。1980年代くらいまでは、日本人がドイツにいくとドイツ人のおじさんたちから「次はイタ公抜きでやろうぜ!」といわれることがあるという話を聞いたからです。
つまり、第二次大戦中の枢軸国からはじめにぬけたイタリアがまだ許せないってことだと思います。
私が疑問に持って推理しなければわからなかったと思います。とにかくあまり話をしない家庭だったので。
こうして書いてみると、私の親が差別しまくって、偏見もちまくっているような感じですが、そういうわけでもないと思います。少なくとも外から見るかぎり、まじめで穏やかな日本人です。
私の親の年代の差別感情は、この国の歴史をみれば、そう不自然なものではないように思えます。これは差別がいいといっているわけではありません。
私の親はその後の世の中の変化に対応して、差別を口にしないようになっていったんだと思います。それが、高齢でタガがはずれてきているんだろうと思います。
それが、よくいっしょにいる姉の前では遠慮がなくなって、たまに会う私の前ではすこしはかっこつける、という形で出ているように思います。(姉にとっては迷惑な話ですが。)
差別感情自体をなくすことはたぶんむずかしいから、知性や礼儀や処世術でフタをすればいいんじゃないかと私は思っています。私の親はある程度そうしてきたのかもしれない。でも、高齢になってそのフタがゆるんできたのかもしれない。怖い気がします。
もし、まじめな姉が差別感情自体をなくすことができると思っているなら、それもちょっと怖いけれども。
学校では現代史はさけたような授業だったし、「敗戦」を「終戦」といってごまかしてきたんだし、それだから落ち込みすぎずに経済発展できたのかもしれないし…いろいろ考えてみると、なにかよくわからなくなってきます。